永遠。
「…今日で最後にしよう。」
彼女から突然のサヨナラ。
「…え…なんで?…突然、そんな事…」
嫌だ。絶対に嫌だ。
繋いだ手が離せない。
人込みから離れた路地裏のカフェ。
ここで会えるのはいつも少しの時間だけ。
「…もし、もしこの事がバレたら、ケントは…」
彼女の目が潤む。
「俺の事はいいよ。心配しないで。」
そんな優しい所が大好きなんだ。
「…ごめん、そろそろ、帰らないと…」
このまま帰らせたくない。
話はまだ終わっていない。
だけど、彼女を無理に引き留める事はできない。
「また、会えるよね?すぐに時間作って連絡するから…!」
繋いだ手を強く握り締める。困らせている。分かってる。
だけど、別れたくない。サヨナラなんてしたくない。
少しの沈黙のあと、彼女が呟いた。
「…ダメだよ。分かって?お願い…」
小さな手が俺の手から離れ、振り返らずにカフェを出ていく。
遠くなる姿を窓から眺める。
追いかける事も出来ないなんて…
俺はアリスを運命の人だと思っている。
初めてここに来た日、たまたま相席になった。
読む本が同じだった。
次に来た時は隣に座った。
同じ飲み物を頼んだ。
その次に来た時は入口で一緒になった。
たまたまが何度も重なって、気になって、俺から話しかけた。
それが始まり。
彼女は凄く年上で、子供の頃から大人に囲まれて育った俺には居心地が良い。
仕事の事、趣味の事、悩みも何でも聞いてくれる。
仕事でカフェに行けない日が続く前に思い切って携帯の番号を聞いた。
少しずつメールや電話でも連絡を取るようになった。
気付けば俺は、いつもアリスの事を考えるほど好きになっていた。
彼女の事が全て知りたくて色んな話をした。
そして知りたくない事も聞いた。彼女は結婚していた。
知った時は震えるほどショックだった。
そんな事があるのかと。
でも、嫌いにはなれなかった。
寧ろ、旦那さんと喧嘩して落ち込むアリスを少しでも笑顔にしたくて、たくさんの時間を彼女のために使った。
いや、少しでも振り向いてほしくて頑張っていた。
月に数回、このカフェで俺と過ごす時は幸せな時間であってほしくて。
想いは大きくなるばかりで、隠す事が出来なくなった。
嫌われる覚悟で気持ちを伝えると、彼女と付き合える事になった。
もちろん全てを理解した上で。
誰にも言えない関係。
だけど凄く幸せだった。
俺の隣で笑ってくれる時間は、全てが許されている気がしていた。
でも、最近少し様子がおかしい。
そう思っていた矢先にサヨナラを言われた。
旦那さんにバレたのか。
俺の事が嫌いになったのか。
何も聞けなかった。
こんなに好きなのに。
ずっと続けばいいと本気で思っていたのに…。
「はぁ…」
数日経っても、考えるのはアリスの事ばかり。
カフェにも何度か行ってみたけれど、来る気配すら感じなかった。
今頃何してるのかな?
笑ってるかな?
泣いてないかな?
…旦那さんの腕に抱かれてるのかな?
そんな事ばかり考えてしまう。
仕事中も上の空。
ご飯も美味しくない。
何を見ても楽しくない。
俺の心は限界だった。
10日目にして、彼女のケータイを鳴らした。
やっぱり諦めたくない。
「…もしもし?」
遠くに聞こえた彼女の声。
「…もしもし、俺、だけど。今、話せる?」
久々に聞く声は相変わらず温かい。
「…うん、大丈夫。」
「…ごめんね。ダメって言われたのに連絡しちゃって。」
…怒ってない?
急に不安になる。
「いいよ。大丈夫。」
優しい声にホッとすると同時に寂しさが込み上げてきた。
「俺、やっぱり会えないなんて我慢できないよ。…今から会えない?」
少しの時間でいい。顔を見て話がしたい。
「ごめんね、行けない。」
予想通りの返事。
「どうして?俺の事嫌いになった?」
「違う。そうじゃ、ないんだけど…行けないの。」
何だか腑に落ちない。やっぱり…
「…旦那さんにバレたの?」
聞きたくない。
「…うん。」
これが現実。
分かっていた。いつかこの日が来る。
だけど…
「そっか…。でも、俺は会いたい。本当は毎日でも会いたいと思ってる。」
ダメだ…限界だ…言葉に出すと耐えられない…
「分かってるつもりだよ。だけど、どうしても会いたいんだ。お願い。お願いだからさ…」
電話を切ると急いでカフェへ向かう。彼女に会える。
きちんと伝えるんだ。
俺の気持ちを。
「ケント。」
いつものように呼ばれて振り向くと大好きな姿があった。
待っていた時間が不安で、嬉しくて思わず腕を強く引く。
バランスを崩して倒れるように近付く彼女を咄嗟に抱き締める。
「えっ?…ダメだよ…」
このまま離したくなくて力を込める。
「苦しい…」
「あ、ごめん…」
つい力を入れ過ぎた。ゆっくりと緩める。
「これくらいなら良い?」
「うん、大丈夫…」
そのまま隣に座らせる。こんなに近い距離は初めて。
いつも並んで座っていたのに気が付かなかった。
なんて小さくて可愛いんだろう。
「…このまま離さないって言ったら困る?」
彼女にだけ聞こえるように呟く。
「…困る。」
今にも消えてしまいそうな声。
下を向いたまま。
「…ねぇ、何処にも行かないで。俺と一緒にいて?」
ずっと、このまま。
「…無理だよ。分かるでしょ?私には帰らなきゃいけない場所があるの。」
…分かってる。でも、今は言わないでほしい。
「…本心じゃないって顔に書いてあるよ?」
「え?」
顔を上げた彼女の瞳には俺しか映っていない。
今なら言える。
「俺、本気だから。ずっと本気だったから。」
気持ちを全部伝えたい…
「俺、アリスの事を考えると苦しくて夜も眠れないんだ。今何してるのかな?もしかして旦那さんの腕に抱かれてるのかな?って…そう思うと、苦しくて苦しくて…」
…ダメだ…つらい…
「何で側にいられるのは俺じゃないんだろう、何でもっと早く出会えなかったんだろう、何でって色々考えて…」
彼女の方を見る事が出来ない。
「…嬉しい。私ももっと早く出会いたかったって思ってた。…ありがとう、ケント。」
そう言うと立ち上がろとした。
「ダメだよ、行かせない。」
咄嗟に腕に力が入る。
「俺を置いて行かないでよ…」
涙が溢れてしまいそうだ…
「ごめんね、泣かないで…。幸せな時間を沢山ありがとう。」
彼女が優しく抱き締めてくれた。
その瞬間、俺の中で我慢していた糸が切れた。
「…限界だ。」
「え?」
立ち上がると彼女の手を引きカフェを出る。
「何処に行くの?」
無言のまま大通りの手前でタクシーに乗った。
「待って。ねぇ!」
彼女の声は聞こえないふり。
もう、このまま帰さない。絶対に。
「着いた、降りて。」
見慣れない景色に警戒しているのが分かる。
「早く。」
彼女の手を引きエレベーターで上がり玄関を開けると部屋に入れる。忘れずに鍵を閉めてソファーへ誘導する。
「座って。」
「私帰らないと…もうすぐ旦那が帰ってきちゃう…」
今、他の男の事を考えてるなんて…許せない…
「その事は忘れて。」
立ち尽くしている彼女の手を引き隣に座らせる。
「ケント…?」
「…俺たち付き合ってるよね?」
あきらかに戸惑っている。
「ずっと我慢してた…」
「…っ、やっ…」
強引にキスをしながら押し倒して抵抗されないように両手を押さえる。
「ま…って…ケント…やめっ…」
キスを繰り返す。
「何で嫌がるの?」
逃げようとする彼女が許せなくて力が入る。
「いたっ…腕、痛い…」
「…俺のモノになってよ。俺だけのアリスに…」
愛情を全て出すから、受け止めてくれるよね?
「…ん…何時?」
目覚めた彼女が呟く。
「今?えっと、もうすぐ日付変わるかな。」
目が合って突然飛び起きる。
「ケント!?…え…なんでっ…」
慌てる姿は初めて見る。
「覚えてないの?ここ、俺の家だよ?」
キスしようと近付くと布団に隠れてしまった。
「え、待って。え…?」
いつも割と冷静な大人な感じの彼女の新しい一面が見れて嬉しくなる。
「何で隠れるの?」
布団から出ている耳が真っ赤で可愛い!
「ねぇ?」
少しだけ顔を出してこっちを見る。
…あーもう!可愛い!!
思わず抱き締めると彼女は小さく震えていた。
「どうしたの?」
「…旦那に何て言えばいいの…」
何だよ、それ。…さっきまでの幸せな時間を返して。
「このまま帰さないから大丈夫。」
「ケント…それは無理…」
「帰さないよ、絶対に。この家から出さないから。」
そんな目で見つめたって駄目だよ。決めたんだ。
俺がずっと一緒にいるって。
…泣いてる?
「どうして泣いてるの?」
「分からない…」
もしかして俺が傷つけた?
側にいたい、抱き締めたい、キスしたい、抱きたい。
好きな人にそう思う権利は平等じゃないの?
抱き締める手を離して起き上がる。
「…ごめん。」
「…ケント?」
「俺はアリスが好き、それだけなんだ。好きで、好きで、どうしたらいいのか分からない。ずっと一緒にいたい。」
どうすれば気持ちが伝わる?
「他の男の話を聞くといつも嫉妬で狂いそうになってた。だけどそんな事言えないじゃん。分かっててアリスを好きになったんだからさ…」
驚く彼女の頭をそっと撫でる。
「…子供でごめん。」
このまま時間が止まればいいのに…
「ケント…」
「アリス…俺を見て?」
ゆっくり顔を近付ける。
涙で潤んだ瞳には俺だけが映っている。
どうしてこの人を選んでしまったんだろう。
きっと俺だけじゃなく彼女もそう思っている。
答えは…
「俺は運命だと思ってる。」
好きになった人が、たまたま今は他の人のモノだっただけ。
「わたしは…」
突然熱を帯びた彼女の瞳に吸い込まれてしまいそう。
咄嗟に彼女の瞼に掌をあてる。
愛しすぎてこれ以上見続ける事が出来ない。
「…ケン、ト?」
無防備な姿が可愛くて、つい意地悪な考えが浮かんでしまう。
「このまま、動かないで。」
「え?」
「静かに、このまま。」
眉毛だけで困っている表情が分かる。
そっと掌を外すと、目を閉じている彼女の瞼にキスをした。
それから耳元で囁く。
「殺したいほど愛してる…」
end